1,000 字以内では書き尽くせないので、質問にお答えすることにします。まじめな答えになっていないいかもしれないけど、そこんとこよろしく。
1.その [ 姉妹都市交流に関わられた ] 経験はあなたの人生にどんな影響がありましたか。
内面的なことでは、国籍で人を区別することがなくなった。個人として見るようになったということ。
仕事の面においては、ポート・フィリップ市に派遣されたことで市の国際交流担当になり、そこからいろいろなボランティア活動に関わることになり、様々な人と出会うことができ、また、そこから愛・地球博のボランティア育成にかかわることができた。 That's a long story.
2.姉妹都市に行く前にどんな期待がありましたか。
海外で生活できるチャンス!と思って応募した。その国の人々の生活にじかに触れることができるという期待。
自分の能力を試す。(英語、コミュニケーションなど)
3.姉妹都市に行ってびっくりしたことはありましたか。
勤務時間になっても職員が来ない! 4 時を過ぎるとオフィスに人がいない!→でも、この日本との違いは後で理解できました。
街路樹がでかい!
英語が独特! Jump out! と言われて走っているタクシーから飛び降りるのかと思ったり、慣用表現が日本で習った英語とかなり違うので、最初のころはちょっととまどったが、違いを楽しんでいたし、今はオーストラリア英語しか喋れなくなった。
4.姉妹都市で過ごした時間の一番いいことは何でしたか。
友達ができたこと。
メルボルンにはいろいろな人種の人がいて、皆、穏やかな印象があった。
自分が日本人であることを忘れてしまったこと。ついでに日本語もかなり忘れた。
5.姉妹都市で一番理解出来なかったものは何でしたか。
受入れ準備が十分されていなかった。ある仕事をさせられたが、あとで最初の命令と反対のことを言われたこと、など。でも、この辺は個人の問題であって、生活習慣とかで理解できないものはほとんどなかった。
6.出発する前に教えてもらいたかったことは何ですか。
ポート・フィリップ市のさまざまな資料が企画課にあったということ。それを事前に読んでいきたかった。
フラットにある備品。アイロンとか余分なものを持っていってしまったため。
7.一番よく覚えている思い出は何ですか。
たくさんありすぎて書けないくらい。いろいろなことがときどきフラッシュバックする。→ヤクをやってるわけではない。
8.姉妹都市関係はどう思いますか。
市民や職員同士に友達が増えて、頻繁に行き来するようになると非常に有意義。もっと発展させて世界初の海外合併をしてはどうか。新市名は City of Obu Phillip かな?。
9.あなたと姉妹都市の市民・職員の交流はまだ続いていますか。
ポート・フィリップ市の市長が来たときくらいかな。クリスマスカードを交換している人もいるが、仲良くなった職員のほとんどが他の仕事に移ってしまったりして音信不通。